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2014年12月6日土曜日
弁慶登場・・・
子育て、仕事、家事、ときどき気分転換の毎日です。
子はだいぶ大きくなりました!
この頃、一時保育に出したり、保育園のイベントに連れて行っているのですが、お腹の中ではあんなに内弁慶だった我が子、ただの弁慶になっています・・・。
http://mitsuhashi-yuki.blogspot.jp/2013/05/blog-post.html
目論み通りだ・・・!!
この間、初めて親子で参加した保育園の交流会にて、異年齢の子たちと遊びまして。
園外からの参加者はうちの子除いて3人、みな1歳児だったのですが、彼らは、慣れるまでママたちに抱き付いたり服の裾をぎゅっと握って離さないなど、私の想像する1歳児像通りでとってもキュート。
ところがです。
うちの子、解き放たれるや否や、園児たちの間をめまぐるしく歩き回り、おもちゃをかき集めては人の肩をちょいちょい触り、先生に絡みついたり室内を走り回ったり・・・。
一時保育でも殆ど寂しがることはなかったようですが、こいつはちと暴れん坊じゃないかね。
両手におもちゃを持っているのに、さらに、年長さんが作ったおままごとのお弁当を強請り取ったのには、かなり濃厚に弁慶が重なったよね。
「今たぶん999個のおもちゃを持っている!それで1000個目だぁー!ちょうだい!!!」
「えええええ・・・」
(でも私この子よりおねえちゃんだからなぁ・・・)
「・・・いいよ、あげる」
保育園へ通うになって友達と過ごすようになれば、もうちょっとおっとりしてくるのかしら・・・。
いっそ弁慶であれと思いはしたけれど、牛若丸の登場に期待を寄せる母でした・・・。
2013年11月30日土曜日
やってきた赤子
激流に小舟で乗り出したような日々を送っております。
いや、案外平穏なのだけれど、思い返すと、2年くらい経ったんじゃないかって気がしてしまう。
経る時間が濃密。
このもったりした時間が積み重なっていくままに来月を迎えると、子が退院した時のことが、包まれて押しやられて忘れてしまいそう・・・。
12月と言えば年末。毎日が忘年の月だもんで。
記録せねばですな。
私の出産・退院同様、突然決まった子の退院日。
もうすぐだね~、そろそろかもー、なんて看護師さんが予告していてくれたので、準備はOKだったのですが、担当医師との面談で正式に決まったのは2日前でした。
「決まった」というのは語弊がありますな。
「決めた」が正しい。
病院としては、退院できる状態になったらなるべく早く親元へ、という方針ではあるといわれていたけれど、受け入れ態勢を整える意味でも、いつ退院するかはこちらに委ねてくれました。
旦那も両親も、少しでも長く病院にお世話になった方が良いのではないかしらん、なんて言うのですが。
あんたたち、毎日乳搾って氷らせて、暑中・残暑の太陽の下、ギッチギチに保冷剤詰めた重いバッグを抱えて、自転車、電車、バスor徒歩で病院通いしてごらんなさいよっ。
家で赤子の世話するくらいなにさと思えるのよ・・・!
『灼熱の乳レース ~乳が溶けるか私がバテるか☆両方だったら最悪や!~』と名付けて産後1週間から始めたこの道のり。
家でぐったり動けなくなったり、病院で倒れて神経内科送りになったり、とにかく色々あったので、一刻も早く手元に赤子を・・・!と思ったのです。切実に。
しかしワタクシも大人ですので。
旦那や両親に心の準備をして頂くために、1日空けて2日後に退院日を設定するという余裕もチラ見せしました。
どうだ!チラッ!!!
退院当日、お世話になった新生児室のお医者さんや看護師さんにお礼をして、両親が出してくれた車で家にやってきた我が子。
熱烈な歓迎とカメラのシャッター音を浴びせられ、まるで飛行機から降り立ったハリウッドスターのようでした。
スターは、観衆に向かって手を振り、握手し、Tシャツにはヨダレとミルクのサインを記し。
両親(特に母)は卒倒しそうな喜びようでしたよ。
数日後には遠くに住んでいる義両親も来てくれて、ようやく元気な子の顔を見せることができました。
なかなか気軽に会えない距離なので、子がもう少し大きくなったら旦那の実家に連れて行って、ゆっくり接する時間を作ってあげたいですのぅ・・・。
そんなわけで、子育て始まっております。
病院にいたおかげか、ミルクの時間も寝る時間も聞いていたよりは規則正しい子です。
思っていたよりは大変ですが、病院通いに比べたら、今はまだ全然楽な気がします。
よし!
これで心置きなく年忘れ!!
まだ禁酒中だけれど、心はいつもベロッベロよ!!
(※言うほど酒乱じゃありませんのでご心配なくデス)
2013年8月9日金曜日
誕生!
医療系ドラマで見たような手術室に入り、部分麻酔をかけられて、ザクッと産みました。
それはそれは痛い思いをしたはずなのですが、母によると、陣痛はそんなもんじゃない、と。
いやしかし、とてもとても痛かったよ。
痛みで血圧がとんでもないことになるくらい痛かったよ・・・。
帝王切開恐るべし・・・!
周りのお母さん達にどうだったのか聞いてみましたが、陣痛と帝王切開と両方経験した方によると、初めに痛いか後で痛いかの違いだよ!と笑い飛ばされました。
痛み止め使えないんだよね、気絶もできないんだよね、10時間以上かかることもあるんだよね・・・。
陣痛恐るべし・・・!
結論、 どっちも恐るべし・・・!
麻酔かかっていても痛い中、我が子の産声を聞いて顔を見た瞬間は、涙が滝のように溢れてきましたよ。
何の感情なのか、これほど説明できないものはないですね。
きっと、解きほぐすと見えないくらい細いものが、濃密に絡まり合って、一瞬にして体中に巡らされ、全身の細胞を変えてしまった感じです。
これが我が子誕生にして、母誕生か。
病室から、つる~っと運ばれて、台に乗っかってお医者さんたちが頑張っている様子を見ていただけなので、いよいよキターッ!産まれるーッ!という感じもなく、以前母から聞かされた産後の達成感もなかったですが、自分の中に起こった変化は詳細に感じられました。
母ってすごい。
生命を産むことにおいて、全ての母を尊敬する。
その先に、育てるってすごい!というのがあって、生き様を見せるってすごい!というのがあって、命ってすごい!というのがあって。
そういうすごいことが、人生を磨く手掛かりになるのだろうな。
今までもそんな風に思っていたけれど、こんなに確信をもって、只々すごいすごいと思うのは初めてだな・・・。
ホル、モン・・・? これがホルモンの変化なの?!
子は未だ入院中ですが、私は早々に退院することができましたよ!
入院中は回復の早さと軽やかな足取りを褒められるほどでございました~。
現在は乳搾りとダイエットに励む毎日です!
痛みの割に3キロしか体重が減らなかったのと、想像以上に腹筋が衰えていたので、これはがんばらねばーー!!
来るべき我が子の夜泣きに備えて、体力を付けるんだもんね!
昼は大人しいうちの子、夜な夜な暴れん坊赤ちゃんに変身するそうなので・・・!
2013年7月17日水曜日
たいいん、そしてまたにゅういん。
入院生活2週間目の朝、家の近くの病院へ転院しましょう、と言われました。
状態が良くなったのと、転院先に空きベッドが出たということで、かかりつけ医から最初に紹介された病院へ。
突然のことで驚いたけれど、旦那さんの負担を考えると、近いに越したことはなし。
かかりつけ医からも、経験豊富で信頼できる病院だと聞いているので、そんなに心配することもなく。
こりゃ有り難いですな!と、二つ返事で了承しました。
いそいそ身の回りの物をまとめ、なぜか同じ日数旅行に行ったより多く膨らんだ荷物を、荷車とタクシーと車椅子で搬出&搬入。
転院先で検査を受けたら、自宅療養で構わないと診断され、めでたく帰宅と相成りました。
家でゴロゴロ、ちょろっと家事をして、食っちゃ寝ダラダラ、頼み込んでラーメンを食べに連れて行ってもらい、後はひたすら横になったりして、過ごすこと1週間。
アイツがじっとしてるわけないのだから入院させておいた方が良い、なんて声も聞こえてきましたが・・・、うふふ、残念!私、苔むした石の如く大人しく寝ておりましたから!
翌週、経過を診てもらいに病院へ。
お腹も重くなったし、体重も少し増えて、胎動も激しかったので、子の成長に随分と確信を持っておりました。
診察台に乗るなり、自信満々にお腹をぺろんと出しまして、さぁ測ってくれたまえ!の姿勢でエコーに臨んだのですが。
モニターに我が子の姿が映し出されて暫くすると、お医者さんが増え、機械がグリグリとお腹を駆け巡り、小さい、あまり変わってない、出すかどうか・・・などと、聞き覚えのある言葉が漏れ聞こえてくるのですね。
あれ、またこれ増えた分の重さは私の脂肪に化けてたパターン・・・?
ハイ、入院です。
前回よりは緊急性は低めで、2日猶予をもらえたのですが、今回は帝王切開で出す前提で話をされました。
現実感があるのかないのか、肝が座ってしまったのか、この状況にほぼ動揺しないのが、何となく後ろめたい。
似たような症状を検索すると引っ掛かるブログ等で、緊迫した雰囲気の文章や、心が締め付けられるような思いを抱えて頑張っている方々の様子を読み漁っていたので、ふと、こんなに気楽なのはどうなのだろう、と思ってしまうのですね。
でも、後ろめたいのはすぐ飛んでしまって、頭の中は、入院までにアレができる、コレしよう、入院中どう過ごそう、退院した後はこうしよう、をクルクル考え出すので、この気持ちは自分の中で他所に避けておける種類のものなんだと思います。
子のために今できるのは、現状把握と、寝てることと栄養摂ること、お医者の指示に従うこと、ストレスを溜めないようにバランスとること。
分からないことは分からないので、妄想するなら面白く楽しく。
だからといって、何かあった時にドーンと落ち込まない訳じゃないはずだけど、言われてることを越えて考え過ぎて悲しい気持ちになったり、物事の結果だけ見て何が悪いのか思い悩んでも仕方ないと思ってしまうのですね。
その時に自分がやれると思ったことをやっているなら、なるようになるし、なるようにしかならない。
幸い、私の周りには、ハイリスク妊娠について時代錯誤な迷言を吐く人はいないので、そう悩まずに楽観していられるのかもしれないのですがー・・・。
こういうことは、何かのせいにすることで心のバランスがとれることもあるけれど、自分のせいにするのも含めて、できればそんな風に思いたくない。
うぬ、やはり私はドライなのだな。
そして昔に比べてかなり図太くなった。
入院当日、旦那さん同席の上、さらに詳しく説明を聞きました。
現在31週目で体の成長がほぼ3週遅れ。
子宮内胎児発育不全だそうです。
すごく小さいわけではないし、これ自体はそう珍しい症状ではないようです。
今のところはっきりした原因は分からないけども、相変わらず、子も私もピンピンしてます。
近頃、エコーで見られる子の顔が大分はっきりしてきました。
写真にすると表情がホラーなのが難点です。
主観では、ものっすごく可愛いのだけど、客観的にあの写り具合はきっとホラー・・・。
4D画像であれば、可愛いさが伝わりそうなのに、目蓋が透けてる白黒のエコー写真だと、それを見てデレッとしてる私込みで怖いだろうなぁ。
2013年7月6日土曜日
にゅい~ん
といっても、私は変わらず元気ですし、子の胎動も心音も全く問題なく。
ただ、若干血の巡りが悪いようで、子にきちんと酸素や栄養を届けられてないんだとか。
そういうこともあるんですねぇ。
前回の検診から、子のサイズが殆ど変わってないことから、発覚致しましたよ。
私の体重は順調に増えていたのに、それ全て子に行かず私の肉となっていたというのですよ、理不尽な。
酸素や栄養の供給が突然止まってしまうこともあるようで、問題が発生した時にすぐ対処できるよう、掛かり付けの病院から転院の上、管理入院と相成りました。
子が弱ってしまったり、これ以上お腹の中で成長が見込めないとなると、切って産んでしまうしかないようで。
急な展開に、只々ビックリ。
4、5日ビックリし続けた後は、なるようになるだろうと思うようになりました。
入院生活なんて初めてなので、勝手の分からないことばかりです。
かれこれ10日経って、大分慣れてきたとはいえ、 痛いとか気持ちが悪いといった自覚症状がないので、 初めはかなりとんでもない患者だったと思います。
救急車とストレッチャーと車椅子でICUまで運ばれてきたくせに、売店に買い物に出ようとしてみたり、部屋(個室)に付いてるからOKとばかりにお医者の許可なくシャワーを浴びたり、カーテン開け放ってラジオ体操していたり…。
※ 念のため弁解しておきますが、自分の病棟がまさかICUだなんて思いもしなかったのですよ、初めは。
徐々に状況を把握して、今は、風呂・トイレ・食事以外は、ベッドの上で安静に寝転がっております。
子の成長も当初より改善してるので、もうちょっとお腹で育てることができそうです。
子は、この頃よくシャックリをするようになりました。
予期せぬリズムで腹がしゃくるので、変なかんじw
2013年6月23日日曜日
米唐番
唐辛子型の可愛い体いっぱいの唐辛子成分を費やして、空っぽに燃え尽きるまで働く米唐番さん。
見た目は赤いけど、勤務体制はまさにブラック。
米を掬う度、切なくなります。
1代目が退任したので、2代目を採用して、早2ヶ月。
湿気も気温も上昇して、虫の湧きやすい時季ですね・・・。
まぁうちは、米唐番さんにお任せしているので、お米についてはほんとに安心。
1代目の時も虫の「む」の字も見なかったし~、と思っていたのですが、なんだか米唐番さんの唐辛子成分が減っていないような、気が。
2代目はブラック勤務に耐性が付いたのかしら・・・。
見た目もパッケージも1代目と変わらないけど、その体の仕組み、何が違うの?!
思いきって米唐番さんの頭を開けてみると、しっかりと内蓋が。
あぁ。
これを取らなきゃ、唐辛子成分減らないねぇ。
うっかりしてたよぉ・・・。
近くにいた旦那に、この2ヶ月、米唐番が非番だった旨を伝えると、彼は羨ましそうに呟きました。
「2ヶ月も有給か・・・」
パッケージを剥かれただけで、2ヶ月も放置されてた米唐番さん。
有給どころか、採用されたことすら知らずに米に刺さってたんじゃないかと思うと、また別の切なさが、胸に込み上げるのでした。
2013年6月16日日曜日
嫁の居ぬ間に・・・
薄闇に包まれた部屋の中、巨人と戦う人々の雄叫びが響き渡り、ソファーの上では、旦那様が弓を引き絞って石のように固まっているのです。
旦那様の前方から、槍を壊せと叫ぶ女性の声。
それに導かれて、彼は力強く腕を固め、的が定まるその時をただじっと待っているのでした。
余りに張り詰めた空気・・・!
私は居間の入り口に立ち尽くし、息を殺して彼の頬をつたう汗を見詰めておりました。
どれ程の時間が過ぎたのか・・・。
長い長い緊張の末、ついに一閃。
狙った巨人へ渾身の一撃を放った旦那様。
テレビ画面には、砕け散る巨人。
空気がほどけ、Wiiのコントローラー(さっきまで弓だった)をシュッシュッと前に突き出して、画面のキャラクターを前進させる旦那様。
ひと仕事を終えて曰く、
「あぁ、肩痛い」
・・・Wiiで、肩こり・筋肉痛の類はやめてくれぇ。
嫁は心の中で呟いて、静かに部屋の電気を点けたのでした。